あすはひのきになろう

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裏世界ピクニック3 ヤマノケハイ【感想】

 

 2020年8月24日読了。3巻までたどり着き、かなり本筋の話が進み始めた印象。ここにきて空魚の前に現れる「ウルマサツキ」が本当に閏間冴月なのかどうかも怪しくなってきたような気が……。

あらすじ

 季節は秋。DS研でコトリバコの呪いを辛くも退けた空魚と鳥子は裏世界探検の日々へと復帰する。お弁当と農機を持ち込んで異界の草原をのんびり走ったり、大学の後輩が持ち込んだ悩み事の解決に奔走したり、認知科学者・小桜の屋敷に入り浸ったり――そこには常に、怪異たちと閏間冴月の影もあって――そしてふたりを襲う、最大の脅威〈ウルミルナ〉とは? 表に出せない感情同士が激突する女子たちのサバイバル、第3巻!

出典:https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014069/

 

 

感想

 本作、ひいてはネットロアや実話怪談*1に共通する怖さに「不条理さ」と「意味不明さ」がある。民話系の怪談とか児童向けの怪談はわりと勧善懲悪だったり、因果応報的な物語が多く、怪異への遭遇の理由が明らかだったり、有効とされる対策があったりする。一方で、本作に登場するような怪談は、作中で空魚が「事故みたいなもん」(p.121)と表現しているとおり、遭遇することに必然性がなく、決定的な対策が効かないという不条理に怖さがある。ここまでで「空魚が眼で見て実体化させ、鳥子が干渉することで倒す」という怪異への対応がある程度パターン化されたことで低減しかねないこの不条理による怖さを、どう演出するかが今後の見所になるだろう。意味不明な怖さで言えば、たまにキャラが怪異の影響を受けて喋る、元ネタとなる怪談の文章をでたらめにつなげて作った意味不明な文章がそれにあたる。単語一つ一つは意味あるものなのに、全体では意味の通らない文章は、思った以上に生理的な嫌悪感を催させるものだった。面白いのは、空魚がこの不条理と意味不明さを軸とする裏世界の恐怖にあくまで論理的な分析を用いて対抗している点だ。空魚は裏世界がネットロアに基づいた接触を図ることに何らかの意図があるのでは、と考えてるみたいだが、果たして……。ただし、不条理さと意味不明さはそのまま裏世界の魅力でもあるので、いざ真の意図みたいなのが明らかにされると逆に興がそがれるかも知れない。

 また、本作のもう一つの魅力に、このインタビューで作者自身が語っているとおり、「強度」のある百合、というものがある。個人的には鳥子(や小桜)が冴月に抱いている感情や、空魚が鳥子に抱いている感情が単純な恋慕に落とし込めるものではないような気がした*2ので、作者が百合を公言していると聞いたときは意外に思ったが、「強度」のある百合、と表現されるとなんとなく分かる気がする。ただ、現状の流れだと鳥子の依存先が冴月から空魚にスライドしただけであり、空魚が鳥子に抱く感情も、鳥子が冴月に示す執着心と差別化ができていないように感じるので、ここら辺をどう差別化するか(もしくはしないのか)というところも注目していきたい。

 あと細かいところだと、元ネタを読者自身が調べることができるように、巻末に引用した怪異の出典が示されている点を評価したい。出典明記大事。

 3巻と言うよりここまで通しての感想になってしまった。諸事情で4巻はしばらく読めそうにないが、アニメ化までには読みたい……。

*1:ちなみにこうした言葉の違いも本巻で明らかになった。空魚によれば、都市伝説はソースのない”噂”、実話怪談は体験者と報告者のはっきりした”体験談”、ネットロアは両者の区別とはまた別に単に媒体がインターネットであることを指す、のだという(p.140-141)。

*2:どちらかというと依存とか執着とかいう後ろ向きで重たい表現が似つかわしい気がする