あすはひのきになろう

ライトノベルを中心にいろんなコンテンツの感想を記録していきたいブログ

君の話【感想】

 

2021年5月30日読了。

 

あらすじ

『三日間の幸福』がロングヒットを続ける著者が初めて挑む書き下ろし単行本の新境地

手違いから架空の青春時代の記憶を植えつけられた孤独な青年・天谷千尋は、その夏、実在しないはずの幼馴染・夏凪灯花と出会う。戸惑う千尋に灯花は告げる、「君は、色んなことを忘れてるんだよ」。出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた恋の物語。

出典:https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013922/

 

 

感想

 一度も会ったことのなかった幼馴染がいた。僕は彼女の顔を見たことがなかった。声を聞いたことがなかった。体に触れたことがなかった。にもかかわらず、その顔立ちの愛らしさをよく知っていた。その声音の柔らかさをよく知っていた。その手のひらの温かさをよく知っていた。

 

 夏の魔法は、まだ続いている。(p.54)

 

 第40回吉川英治文学新人賞候補作*1。当時の選評の要約はこちらから。まぁ選者の年齢からしてこの類いの話は好まれんだろうなぁって感じ。特におじいちゃん二人が辛辣で笑う。

 実は安価スレ建ててた頃から読んでる作家で(当時は「げんふうけい」名義だった)、感慨深いところがあったりなかったりですが、良くも悪くも、作者の手癖が強い印象でした。この人の作品はほぼ完全にパターン化されてしまっているんですよね。現実世界に一つだけファンタジーなりSFなりの要素が一つ付与された世界を舞台に、男女が出会い、すれ違い、通じ合って、でも基本的には悲恋に終わる、みたいな。本作もそのパターンを踏襲しており、そろそろ別パターン書いても良いんじゃないかと思いますが、決して面白くないわけじゃない、というか個人的にはかなり好ましかったです。大筋の似た作品は多くありそうですが、その中ではかなり完成度の高い部類に入るのではないでしょうか。

 まず、恋愛を描いたエンターテイメントとして非常に明快かつ読みやすい。設定もめちゃくちゃ斬新というわけではないものの、心惹かれる着想ですし、その世界観を十分物語に活かしきっていると思いました。展開も先が気になる作りになっていて、特にB面に入る転は読者を途中で離さないギミックとして効果をあげています*2。文章も読んでいて非常に快い。引っかかるところがないし、情景が自然と思い浮かべられる。特に冒頭部分のような、こう、たまに声に出して読みたいような語りの気持ちよさがしばしばありました。加えて、特に物語の評価されるべき点として、虚構の持つ意味というテーマ性と、読者へ訴えかける力の二点を挙げたいと思います。

(前略)よくよく考えてみれば、現実に起きたことと起きたかもしれなかったことのあいだに大した違いはないのだ。いや、まったく違いはないといっていいかもしれない。それは同一の製品にブランドロゴやギャランティカードがついているかどうか程度の差異でしかなく、本質的には等価なのだ・・・・・・・・・・。(p.306)

 現実が「現実である」という理由で持つ価値がないように、虚構が「虚構である」という理由でその価値が損なわれることは本来ないはずです。本作は「虚構でつないだ関係性が真実の愛に発展する」という物語ではなく、「虚構が虚構のままで/であるからこそ持ちうる価値」の物語であると、個人的には解釈しています。

 僕があなた・・・をそんな目に遭わせるのは、自分の仲間を増やしたいからでも、同じ苦痛を味わわせたいからでもない。この世界のどこかに運命の相手がいる――僕はそれを、一つの真理だと心の底から信じている。そしてその真理を、一人でも多くの人に信じてほしいと願っている。

 運命の相手は存在する。それはあなたにとって恋人となるべき相手かもしれないし、親友となるべき相手かもしれない。相棒となるべき相手かもしれないし、好敵手となるべき相手かもしれない。とにかくこの世界においては〈出会うべき相手〉が一人につき一人ずつ割り振られていて、しかし大多数の人間はその相手に出会うことなく、不完全な人間関係を甘受したまま一生を終えるのだ。

(中略)

 そうしてあなたは運命の相手とすれ違う。生涯二度と出会うことはない。何年か、何十年かあとになって、あなたふとその日のことを思い返す。そして未だに相手の印象が薄れていないどころか、なんでもないはずのその一瞬が、どんな思い出よりもまばゆく輝いていることに気づく。いや、まさかな、とあなたはそれを笑い飛ばす。そんな映画みたいなことあるはずないじゃないか。そう自分に言い聞かせ、輝きを記憶の奥深くに封印してしまう。

 でも、もしあなたが〈ヒロイン〉を信じることのできる人間だったら、話はちょっと違ってくるかもしれない。あなたはその人とすれ違ったあと、直感に導かれるままに振り返ることができるかもしれない。そのとき、もし相手の方も〈ヒーロー〉を信じることのできる人間だったら、やはりこちらを振り向いてくれるかもしれない。あなたたちは束の間見つめあい、互いの瞳の奥にとても重要な何かを見出すだろう。そのまま向き直って歩き出してしまう可能性の方が、もちろん高い。しかし、それでも、ひょっとしたら、あなたたちはどちらからともなく声をかけることができるかもしれない。そしてこの世に生まれてきた意味を初めて知ることになるかもしれない。

 僕はそんな奇跡をひとつでも増やすために、人々の心の中に適切なスペースを空けておきたいのだと思う。その空白は多くの場合、生きていく上で邪魔になるだけだろう。たとえどんなに充実した日々を送っていても。その欠落感はあなたの人生に小さな影を落とし続ける。そう、これは一種の呪いでもあるのだ。(p.308ー310)

 引用部が長くなってしまいましたが、後者は明らかに「作者から読者に対する呪い」でしょう。第四の壁を乗り越え、物語を鑑賞する我々へ直接訴えかけようという作品はしばしばありますが、本作がこうした直接的な手法をとったことは正直予想外でしたし、かつて虚構を毛嫌いしていた語り手だからこそ持ちうる力強さがあり、心動かされるものがありました。見逃されていたかもしれない可能性、有り得たかもしれない最善を物語中だけでなく、現実世界でももたらそうと働きかける作品でした。

*1:武田綾乃『その日、朱音は空を飛んだ』もこの回で候補になってる

*2:ただ、B面そのものは一人語りになる分、一方的で冗長に感じました。